日本を感動させた「51」
1963 年4 月、北京動物園の「皮皮」と「莉莉」が自然交配に成功した。
その後、欧陽淦と黄恵蘭の二人の女性専門家は、莉莉に対して専門的な管理と研究を行った。9 月初め、莉莉は食欲不振に陥り、いつもと異なる様子だった。専門家たちは丁寧に世話をしていたが、分娩の瞬間を見逃してしまった。9 月9 日、二人の専門家は莉莉の懐にピンク色の小さな物体があることに気が付き、意外に思った。パンダの子であれば数キログラムはあるだろうと予想していたからだ。しかし、実際に目にしたものは生まれたばかりのネズミのようで、全身が半透明であり、重量わずか100 グラム余りのものだった。当初二人は、流産か早産だと判断して非常にがっかりしたものだ。しかし、詳細に観察を続けると、このおチビさんは大きな鳴き声をあげ、体の状態もすべて正常だった。二人は喜びのあまり涙を流した。パンダの子がそれほどまでに小さいということが明らかになったのは、その時が初めてだった。
北京大学の潘文石教授は、ジャイアントパンダが大きな子を産まず、小さな子を産むようになったのは、生存環境に非常によく適応した結果だと考えている。受精卵は母体内で、分子量の大きな脂肪酸を吸収することはできず、母体内の水溶性タンパク質と、分子量が小さなブドウ糖に栄養補給を頼らなければならない。しかし、妊娠期間が長く、タンパク質の消耗が多すぎれば、母体を脅かすことになる。こうした状況下では、早く子供を産んで母乳で育てるほうが、母子ともに安全なのだ。しかも母乳であれば脂肪が分解されたものである脂肪酸を比較的容易に摂取することができる。
妊娠した母パンダは、多くが初秋の山の中で出産の準備をする。まず竹林と水源に近い木の洞や洞窟に身を隠し、樹木の枝や葉を咥えてくる。もし木の洞なら木くずを削り出し、柔らかい寝床を仕立て、分娩の準備をするのだ。
人工飼育のパンダの出産であれば、うろうろする必要はない。パンダの「乳母」や「乳父」たちが早くから臨戦態勢で一分一秒も見逃さないよう母パンダの一挙手一投足を監視し、新しい命が誕生する厳かな瞬間の訪れを待っているからだ。
2006年8月7日、成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地のジャイアントパンダ「奇珍」が、双子を産んだ。第一子となる「おにいちゃん」が産まれた後、第二子のおチビさんも直接産道から滑り出て、地面の上に落ちた。奇珍はこのおチビさんにまったく気づかなかった。おチビさんは地面の上で大きな鳴き声を上げて母親の注意をひきたいのだが、声が出ない。冷たい地面の上で必死にジタバタしていたが、何回か転がるうちに動かなくなった。研究員たちはそれを発見するとこの子をすぐに人工保育器に移した。この子が、体重51グラムで生まれた極小のパンダの赤ちゃん「51」だ。
一般に、ジャイアントパンダの初産の子の体重は150グラム前後である。51グラムといえばその3分の1しかない。大脳の表面には溝がなく、血中には白血球がなく、腎機能も健全とはいえず、体温はたった34℃だった。その命はか細いクモの糸のように、いつ失われてもおかしくなかったのだ。
しかし、「乳父」の腕の中で3時間温まるうちに、体温は正常値まで上昇した。さらに、「乳父」たちはこの子の口が母親である奇珍の乳頭よりも小さく、奇珍に育てさせられないことに気が付いた。よく知られているように、母乳を飲まなければパンダの赤ん坊は数日と生きていられない。「乳父」たちは危険を冒して奇珍から搾乳した。最初の授乳の時、「51」は自分で飲み込むことすらできなかった。一滴一滴母乳を口の周りに注ぎ、ゆっくりと口の中に入れるようにするしかなかったのだ。1回目は0.8ミリリットルを飲ませるのになんと30分かかり、「乳
父」を担当した黄祥明は汗びっしょりになった。ほんの少しでも気を抜くと、おチビさんが乳でむせて、窒息死してしまうのではないかと、気が気ではなかったのだ。
こうして、少しずつ乳を与えたことで、「51」は丈夫になっていった。「乳父」や「乳母」たち
はこのおチビさんの面倒を特によく見た。授乳するときは毎回、「51」が先で、おにいちゃんは後だった。「51」はよく乳をのんだので、すぐに大きく育った。3 年後には、生まれた時の体重の2000 倍の105 キログラムにまでなった。。。
はじめに
中国の長い歴史をひもとくと、ジャイアントパンダの存在は早くから人々に知られていたことがわかります。古い書籍の中では「貔ひ」「貔ひき貅ゅう」「貊ばく」「貘ばく」「食鉄獣」「白豹」等と呼ばれていました。白黒の毛皮はパンダの独特な目印です。そして白と黒という2つの色は、中国文化の象徴でもあります。白と黒が交わる太極図、白と黒の点と線が並ぶ河か図と洛らく書しょ、または白と黒とで陣を争う囲碁、黒い墨、白い紙によって無尽蔵の味わいを生み出す中国画等、いずれも「最も深いところにある物事の本質は常に簡明である」という中国文化の精髄であり、互いにまじりあうことなく相反するものが互いに成り立ち、素朴でありながら深い思索に満ちているという、豊かな哲学的内面を余すところなく表現しているのです。まるでいつのまにかパンダが、中国文化の特質を受け継ぎ、中国的要素を最も体現した動物になったかのようではありませんか。
パンダは天真爛漫で子供のようなかわいらしいしぐさによって、数えきれないほどの国内外の「ファン」たちを魅了しています。パンダへの愛は、早くから国境や民族、イデオロギーを超越した、人類の多くが認める大きな愛となっているのです。
古い歴史を持ち、個体数の少ない動物であるパンダは、中国では「国宝」のように扱われており、世界自然保護基金(WWF)も世界の自然保護の象徴としています。中国と世界の動物保護に従事する人々が何代にもわたって手を携えて努力したことによって、パンダの保護事業は目覚ましい進歩を遂げてきました。一定の規模をもつ保護区を建設することでパンダの個体数を有効に保ち、救援プロジェクトを実施し、パンダの生息地をよい形で保護しています。また、全国的なパンダ資源の調査を継続して行うことで、パンダの資源と保護の現状把握に役立つ重要な資料を提供しています。パンダの移転保護を行い、人工飼育によって個体数をある程度の規模まで増やしてから、個別に野生に戻すことで、移転保護と現地での保護のいずれもがうまく行くようになりました。現在、野生のパンダの個体数は「安定増加」の傾向にあり、これは本当に喜ばしいことです。
パンダに関する知られざる事実と物語は、多くの読者とパンダのファンが渇望してやまないものでしたが、科学によってきちんと裏打ちされた情報を、わかりやすい文章でどう表現するかが、長年の懸案となっていました。
そんな時、私たちは譚楷氏と出会ったのです。科学と人文という2つの分野の間を自由に行き来しつつ、たくさんの人にわかりやすく情報を提供しようと試み続ける氏には、敬服させられるばかりです。
文学と科学知識の普及に長らく携わってきた譚氏は、中国のSF小説のための月刊誌『科幻世界』で24年ものあいだ編集長を務めてきた方で、自称「ステンレス製人間はしご」。多くの人気SF作家を発掘して手を差し伸べ、人気SF作家に育て上げ、また『科幻世界』を中華圏で名の通った、世界最大の発行部数を誇るSF雑誌へと育てあげてきました。そして編集の仕事のかたわら、自らも科学文芸の創作活動に携わり、30年余りにわたって中国全土のパンダ保護区を歩き回り、多くのパンダに関する記事や、科学詩、ルポルタージュ作品の執筆を続けてきたのです。
四川省科学普及作家協会理事長の呉顕奎氏はかつて『譚楷の生命の三原色』というテーマで講演をしたことがあります。「譚楷の命を構成する三原色は、激情とパンダと科学だ」というのです。この言葉は、譚氏を非常によく表現していると言えるでしょう。
譚楷氏が初めてパンダの保護区に足を踏み入れてから34年が経ちました。本書『パンダの物語』は、譚楷氏のこの34年間の心血をすべて注いだ力作と言っても過言ではありません。本書は一つ一つの活き活きとした興味深い事象を通じて、パンダの歴史や由来、習性、自然へ還す過程や、パンダと人との心の物語などを、誰にでもわかる言葉で綴られています。この作品のなかでは、科学的な知識とパンダと人との心の物語が有機的に結合させ、しかも詳しく語った力作です。多くの読者に歓迎を持って受け入れてもらえるに違いありません。
本書の出版によって、パンダが内包する中国文化が世界に広まりますように!
西華師範大学生命科学学院教授
2014年秋 四川にて